布良星について - 一般社団法人 南房総市観光協会

布良星めらぼしについての物語

昔々、青木(現在の南房総市白浜町)と呼ばれる海辺の長閑のどかな村に、西春さいしゅん法師という一人のお坊さんがこの世に生を受けました。

お父さんと一緒に漁師として働いていた若き西春さいしゅん法師は、小さな頃から空を飛んだり、海の上を歩いたりと不思議な力の片鱗を見せていたそうです。

その後、十九歳で出家し、諸国を回り修行を積み、二十九歳の頃に立派なお坊さんとなって南房総へ戻って来ました。

村人に仏法を説きながら過ごしていた西春さいしゅん法師は、村の生計を支える漁師たちの度重なる海難事故に大変心を痛めました。

南房総沖の漁場は海が荒れやすく、お父さんや多くの海の男たちが帰らぬ人となっていたのです。

それに悲しんだ西春さいしゅん法師は、海を鎮め、漁の安全を祈るため、自ら「入定にゅうじょう(即身仏となる)」ことを決意しました。

その後300日間、木の実や草だけを食す「木食行」を経て、地中深くに設けられた石室の中に入り、こう言いました。

『石室の中から鉦(かね)の音が聞こえなくなったら、三年後に掘り出して堂内に安置して欲しい』と。

石室で入定にゅうじょうの行に入り、幾日かの時が流れ、鉦の音はとうとう聞こえなくなってしまいました。

それから三年・・・、四年・・・、五年・・・と、いくつもの年月が流れていったのですが・・・・・

「即身仏」が眠るこの場所を畏れ敬っていた村人は、長い間、誰も近寄らなかったため、西春さいしゅん法師との約束をすっかり忘れてしまっていたのです。

『やれやれ仕方ない』と、西春さいしゅん法師の魂は肉体を離れて天に昇り、そのまま南の空に輝く星となって、村人たちを見守ったのでした。

昔からマグロの延縄はえなわ漁が盛んだった南房総。冬は海が度々大時化しけとなり、多くの漁師たちが命を落としていく中、それでも生活のため冷たい波風に耐えながら危険な漁に出ていました。 ある日の夜、漁師たちは南の空の水平線近くに、赤く輝く星を見つけました。

いつもは見えない星が出現したことを不思議に思いましたが、翌日は綺麗に晴れていたためいつものように漁へと出て行きました。

ところが沖合に出て、いざ延縄はえなわを下そうとした途端、空がみるみると曇りだし、海が荒れ狂い始めたのです。漁師たちは命からがら港へと戻りました。

漁師たちは前日に見た星を「西春さいしゅん法師が天に昇って見守っている」ことを思い出し、「西春さいしゅん法師が星となって現れることで、海が荒れるのを教えてくれているのだ」と広く言い伝えたそうです。

この物語は永くこの地域に伝承され、この赤い星を見つけた次の日は漁に出ないようにしたと言われています。

漁師たちはこの赤い星を、海で亡くなった仲間たちの魂が西春さいしゅん法師に供養され美しく輝く様子として重ね見て、このあたりの地名をとって「布良星めらぼし」と名付けたのだそうです。

・・・・・そして現在、

布良星めらぼし」は南房総の星空観測における一番人気の星となり、赤く輝きながら漁の安全を今日まで見守り続けています。

また、西春さいしゅん法師の石棺があるとされる場所は「西春法師入定塚さいしゅんほうしにゅうじょうづか」(市指定文化財)として大切に保存され、毎年4月15日には「入定にゅうじょうまつり」が開催されています。

布良星めらぼしは、りゅうこつ座の1等星「カノープス」です。
南房総の漁村「布良めら」でよくみられることから『布良星めらぼし』とも呼ばれています。
カノープスは、日本(北日本を除く)では、南中の時でも地平線すれすれの低空にしか見えない星です。北日本では地平線より上に昇らないため、見ることができません。また、地球の大気の影響を受けやすい空の低い場所に位置するため、本来より暗く赤っぽい色で見えます。(出典:国立天文台(カノープスを見つけよう)

一目見ると寿命が延びると言われている縁起の良い星『カノープス』。
冬の一時期に限られますが、南房総はこの星を見ることが出来る数少ない場所で、星空観察に適しています。
南房総の漁村「布良めら」でよくみられることから『布良星めらぼし』とも呼ばれる、このカノープス探しに挑戦してみましょう。

カノープスを見つけよう

南房総は、カノープスを見るのに適した環境です。

よく晴れた夜に、南の空が開けた場所で、冬の大三角やおおいぬ座のシリウスを目印にして、南の地平線すれすれに姿を現すカノープスを探してみましょう。

カノープスを見つけよう